またふとす!

また書きます。

生きたくて生きている。

怒る人はじぶんが怒りたくて怒っている。

なんて話がアドラー心理学に出てくる。

だれかによって怒らされることなどない、というものだ。

もっと言えば、あなたのことを思って、などというのは、

じぶんが言いたいがためのただの屁理屈なのである。

 

その話はなにも怒りに限ったことじゃないと思う。

その会社で働くのも、歯を磨くのも、

だれかに愛を告白するのも、それを断るのも、

じぶんが「そうしたいから」であって、

「そうさせられている」なんてことはないんじゃないか。

なんて考えていくと、どれもこれもそうしたくてそうしている、

そんな人たちが集まっている世界なのだと思った。

 

食べたいから食べる。

怒りたくないから怒らない。

笑わせたいから笑わせようとする。

笑いたいから笑う。

どれもこれも当たり前のことだけれど、

だれかのなにかによって「そうさせられている」という考え方をとっぱらうと、

世界ははっきりとシンプルになる。

 

そしてそのすべてが「生きたがっている」につながるんじゃないのかな。

じぶんが生きたがっているから今日を生きる。

脈打つ心臓が、呼吸する身体が、生きようとしている。

そんなフィルターで覗いてみると、

じぶんや世界が違った見え方をするからおもしろいのだ。